心理学専攻修士論文要約

心理学史における中国と日本の関係
---台湾大学の心理学研究室を中心に---

任玉梅

二年前、私は卒業論文で「中国心理学界における最近の動向―本土化運動」に ついて報告をした。その研究をきっかけに中国独自の心理学とは何かと考え、 またその研究報告を通して、私は、中国心理学界の現状や、華人研究者達が今 後の研究方向について現在どのような考え方を持っているかを知ることが出来 た。

だが、それはいわば現時点での中国における心理学の動きを捉えているもので ある。それでは百年ないし二百年を遡ってみよう。ヨーロッパのみに起こった 産業革命、科学技術の変革がその時代の生き方や考え方を転換してしまった。 それとほぼ同時期の中国はどのような状況であったのだろうか。それから、ほ ぼ同じ時期でなくてもやや後になって西洋との交流があった時点で中国にもヨー ロッパのような思想上の変革はあっただろうか。そして、このような多様多彩 な知識や思想の伝入した時、心理学はどのようであったのだろうか。つまり近 現代あるいは明、清、民国初期と呼ばれる時代に本来中国になかった西洋科学 である心理学はどのようなルートを経て伝わってきたのだろうか。また、どの ように中国で形成し発展を遂げてきたのだろうか。そしてその時代の人々は如 何にそれを受け止めていたのだろうか等々、というような経緯をも私は考えて みたいと思うのである。

そこで、まず近代中国において、西洋心理学の伝来したルートを四時期に分け てみたが、結果としては、いずれの時期も外来的要因、つまり戦争によって、 学問の研究は影響され、変化してしまうことが歴史上の出来事として、明らか になった。とりわけ第三期においては、1895年の日清戦争で日本と台湾は従属 関係になり台湾は学問上の研究においては専ら日本から移植されてきたものが 多かった。心理学の場合も当然、同じような状況に置かれていたといえよう。

この論文では、戦前戦中の臺北帝国大学(1928開学〜1946閉学迄)心理学研究室 を中心に、そこでは如何なる心理学の研究業績が積み重ねられてきたか、また 台湾と日本およびその戦前戦後における心理学の研究傾向が如何なる変化をし ていったのかを見ることにした。

私は台湾の出身であるのに、台湾の歴史について何も知っていなかった。恐ら く私だけではなく、一般の民衆もつい最近まで台湾の全体の歴史像を知らなかっ たというのが実情である。そこで最初に述べたような大きい問題は問題として、 今回の研究では、西洋心理学が中国に伝えた影響そのものではなく、日本心理 学と中国心理学の関係でもなく、1928年から1946年(昭和3-21)の間に日本の 植民時代に作られた臺北帝国大学(今の台湾大学)の心理学研究室における日 本と台湾の心理学だけを主として取り上げてみようと思ったのである。

ここでこの論文の構成について言うと各章の内容は次の如くである。第一章で は、先に記した通り西洋心理学の受容をめぐる中国と西洋の交流の歴史を四期 に分けて紹介し、それから私の問題意識を明記した。第二章では、台湾におけ る清朝時代の教育制度のことと日本統治時代の教育制度のことを述べてから、 臺北帝国大学の創設、学科構成、心理学に関連する講座・学会などを概述した。 第三章では、戦前の台湾の心理学の発展について考えた。ここでは臺湾高等学 校時代と臺北帝国大学時代を通して、心理学講座における研究業績と同時期の 日本心理学研究との比較をした。また、この比較結果によって臺北帝国大学心 理学講座の研究傾向の位置づけをした。第四章では、戦後、台湾大学の心理学 及び日本心理学の研究方向について1949から1957までの間と、1958から1972ま での間に発表された論文を分野別に表を作り比較をしてみた。第五章では、其々 の表による結果に基き、戦前と戦後における日本と台湾の研究傾向の変化を考 察し、それから今後の課題についても考えてみた。

第三章以下で明らかになった結果を簡単に纏めると、まず臺北帝国大学では心 理学研究室が建立した当初から飯沼龍遠、力丸慈円、藤澤仲らの教授達が台湾 在住の日本人と本土人(漢民族)と蕃族(原住民)の発達、知能や知覚あるいは彼 らの社会的行動を民族比較レベルで調査、研究の対象としていた。つまり臺北 帝国大学の心理学研究傾向は同時期の日本の心理学研究傾向とは異なり、民族 心理学を中心とする独自の研究特色を顕著に示している。次に、戦後台湾の心 理学はアメリカの影響を強く受けたため研究傾向も戦前と異なって民族や比較 の研究分野において論文の数が減ってきていることが分かった。その代わりに 臨床やテスト検査や学習などの研究分野が多く見られ人々の生活空間に入り込 んで応用されてきているようである。これに対し、日本の場合は戦前戦後も近 く心理学や学習心理学の研究が盛んに続けられている。

つまり、今回の研究で得られた結果から言うと台湾では戦前戦後においても華 人自身の問題から出発した主体的な学問研究が確立されていないので、最近に なって中国心理学界の本土化運動が呼びかけられているのである。このような スローガンを介してこれから中国における心理学の研究が偏らなく、狭い視野 で捉えられることなく、広がっていく事を私も望んでいる。